103万円の壁を引き上げることの問題点

国民民主党は壁を178万円に上げることを主張しており、そうすれば確かに103万円の「壁」はなくなります。それはそれで目的を達成するのに適した手段と言えますが、目的達成以外の効果が大き過ぎます。すなわち基礎控除等の合計額を引き上げるということは、103万円の「壁」に直面していない所得が大きい納税者にも広く効果が及ぶということです。
この点について、高額納税者の方が減税額が大きくなるので金持ち優遇であるとの批判が有力になっていますが、国民民主党の玉木代表が反論しているように累進課税制度により元々納めるべき税金が多いから減税額も大きくなるだけであり、この点については玉木代表の主張が正しいと考えます。
本当に問題なのは、目的達成のために必要な範囲を大きく超えて財政構造を崩すような一般的大減税になってしまうことであり、その点にフォーカスした議論が望まれます。

103万円の壁は壁と言うから壁になる

12月11日に自民党・公明党と国民民主党の間でいわゆる103万円の壁を2025年から引き上げることを合意したと報じられています。
この103万円の壁は、所得が基本的な所得控除の合計額103万円以下の場合は所得税が課税されず、103万円を超えるとその超えた部分に所得税が課税され始めることを指しているようですが、かつては更に配偶者の配偶者控除の適用がなくなることにより世帯全体で見ると手取りが減ってしまうという意味で「壁」と言われていました。この点については昭和62年の改正で配偶者特別控除が導入されたことにより解消しています(下図)。

財務省主税局資料


このように所得が増えると手取りも増える状態であることが理解されていれば103万円をターゲットに就業調整をすることもないと考えられます(この状態で就業調整が起きるのであればあらゆる労働者が就業調整することになってしまいます)。従って、現状はかつてのイメージで漠然と就業調整をしている配偶者が多いと想像され、当局や専門家が正しい情報をしつこく発信することの重要性を再認識させるテーマです。

なお、子の所得が103万円を超えると親の特定扶養控除が適用できなくなる関係については対象外としています。

語学の習得における読みの重要性

語学の習得について従来から日本人は読めるが話せないので会話の練習が必要と言われることが多いのですが、結論から述べると読みが足らないから聞くのも書くのも話すのもなかなか上達しないのではないかと思います。
まず会話が成り立つためには相手の発言が聞き取れることが必要ですが、ここで読めるのに聞き取れない場合の多くは読むスピードが聞くスピードに追い付いていないと思われます。聞くスピード以上のスピードで読めるようになって初めて聞き取れるので、対策としては読む練習を沢山するということになります。
次に書くと話すについてもシンプルですが、表現のストックがないとアウトプットはできません。これも対策としては幅広い分野の文章を読むということになると思います。
上記は母国語を考えてみればある意味当然のことで、文部科学省の調査によれば小学校だけでも教科書のページ数は9,000近いとのことで、他にも読んでいるとすれば、外国語を学ぶ際にも少なくとも1,000ページの単位で読む必要があるのではないでしょうか。

政府への信頼の重要性

10数年前大使館勤務時に大使公邸のワインが枯渇しつつあると聞きました。かつては報償費でその年にできたワインを購入して10年、20年後に飲み頃になるということが可能だったのが、スキャンダルで報償費はなくなり、通常の予算でその年に使うワインを購入することになり、その年に飲めるワインは当然高いので多くは購入できないからという説明でした。これは政府に対する信頼がないために税金を効率的に使えなくなった例です。
マクロ的な問題では給付に見合った負担の可否の問題もあります。政府に対する信頼がないと負担増が受け入れられず、いつか調整すべき負債が膨張します。もちろん負担増による調整はできないのでインフレによる調整になりがちです。これも相当の痛みを伴うのは最近物価高対策が重要施策になっていることからも分かります。
少し違う角度では少子化対策の給付もあります。政府に対する信頼がないと子どもが独立するまでの間給付が続かないかもしれないと考えて子どもを持つ意思決定ができなくなる惧れがあり、それを防ぐには子どもが生まれたら全期間分を前払いするしかなく非効率になります。
以上のように政府に対する信頼がないと非効率になりますが、信頼を回復するには一つ一つの施策を着実に実行していくしかありません。

政府が成長戦略を作ることの問題

自民党総裁選でも成長戦略が主要争点の一つになっていますが、政府が成長戦略を策定するのは2002年の「骨太の方針」からとされており、既に20年以上続いています。
これらの成長戦略の多くは各省の個別施策の寄せ集めとなっており「戦略」のイメージとは異なるのも問題ですが、そもそも今後の成長の源泉となる分野、業種、事業等を政府が予測し支援するという点に本質的な問題があります。
今後の成長分野等は事業を担っている民間企業が見極めるのが最もパフォーマンスが高くなるはずですし、民間企業側に政府が成長について責任を負っているという意識が蔓延して受け身になってしまうのが大きな問題です。メディアでも「政府が実効的な成長戦略を示せるかがポイント」というような趣旨の論調が目立ちます。本来、成長はあくまで民間企業の仕事であり、政府はそのサポート役です。
従って、政府は民間企業が行おうとする新事業の障害となる規制の見直しや高度な事業に必要な人材が十分に確保できるようにするための教育の充実等、本来政府が取り組むべき分野に集中すべきです。

サステナビリティ経営のための政策対応

サステナビリティ経営は従来のCSRと異なり経済価値、社会価値及び環境価値を同期させるものとされています。言い換えると、サステナビリティ経営をする方が稼ぐ力も大きくなるような状態を目指すものとされています。そのために開示を通じた投資家や一般社会からのプレッシャーも活用して企業のサステナビリティ経営の水準を高める方針が示されています。
もっとも、政府等により様々なガイダンスや好事例が示されたとしても、それらを導入して稼ぐ力にポジティブな影響を持つに至るまでには相当のコスト負担に耐える必要がある場合も多いと思われます。また、理念先行で演繹的にメニューを作ると経済合理性やビジネス合理性とはかけ離れたものになるリスクもあります。
やはり常に各メニューの影響を検証し、望ましくないものは廃止することとし、また、外部不経済があるものについては課税等によって内部化する等の経済学的対応を行うことにより、全体としてできるだけ合理的な取り組みとなるようにする必要があると考えます。

公教育の供給不足による格差拡大

かつて東京等に学校群制度がありました。最も不適切な政策の一つだったと思います。
これは公立高校間の格差を是正しようとして導入当時に偏差値が高かった高校と低かった高校をペアにした群を設け、受験は個別の高校ではなく群について行うというものでした。そうすると高偏差値高校に行きたくても同じ群のもう一方の高校に行かなければならない可能性も相当あり、高偏差値高校に行きたかった層はやむなく私立や国立に流れるか、公立高校には行くが大学受験のために塾にも通うことになりました。
これはハイレベルな教育を受けたいというニーズがあるのに公教育では供給しないこととした結果、民間が供給することになったもので、公立高校間の格差をなくせば問題解決と考えていた政策担当者等の認識不足でした。結局私立の学校や塾の費用を賄える層のみがハイレベルな教育を受けられるという格差拡大になりました。

所得控除は金持ち優遇か

民主党政権最初の税制改正において「現行所得税の所得控除制度は、結果として、高所得者に有利な制度となっています。なぜなら同額の所得を収入から控除した場合、高所得者に適用される限界税率が高いことから高所得者の負担軽減額は大きくなる一方で、低い税率の適用される低所得者の実質的な軽減額は小さくなるからです。」(平成22年度税制改正大綱第3章2.(1)④)とされ、様々な所得控除の廃止が決まりました。
しかしこれは正しいのでしょうか。
まず負担軽減額ですが、高所得者の方が大きくなるのは累進課税によって負担額が大きいからであって、所得控除部分の負担がゼロになるという意味では所得の水準にかかわらず同じです。
それでもやはり軽減額が問題ということなら所得の上から控除するのではなくて下から控除すればよいと思います。
例えば所得2,000万円の納税者Aと所得500万円の納税者Bがいるとして、現行制度は所得控除200万円を上から控除してAは1,800万円、Bは300万円として累進税率を適用するため、Aは1,800-2,000万円の高い税率での200万円分、Bは300-500万円の低い税率での200万円分の控除になりますが、下から控除すればどちらも同じ税率です。
具体的には、控除があっても総額は変わらず2,000万円として税額計算、更に200万円にかかる税額を計算し、前者から控除します。これが担税力がない部分という所得控除の理論的性質にもフィットすると思います。

働き方改革の問題点

働き方改革関連法の大きな柱は長時間労働抑制や休暇取得促進で、労働投入量を減らしてアウトプットは維持することで生産性が上がることが期待されています。
令和2年度年次経済財政報告における効果検証で実際に効果はあったとされていますが、効果の検証は中長期的に行う必要があると考えます。最低限達成すべき目標を超えて新しい成果を得ようとする時や労働者個人やチームの技術向上を図る時にはどうしても試行錯誤になるのでその時には時間がかかり短期的な生産性は低下しますが、奏功すれば中長期的には生産性は向上します。逆に短期的な生産性ばかりを追求すると上記のような取り組みができなくなり、中長期的には生産性は低下するリスクがあります。実際に効率的にできる慣れた仕事以外はしない傾向が出てきたとの話を聞きます。
また、短期的な評価においても、真に成果で評価するのであれば時間を規制するのは目的と手段がずれていると言えます。得ようとする成果によってはかなり時間をかけざるを得ないものもあるからです。時々労働時間を評価するのではなく成果で評価するから長時間労働をしないようにするとの議論がありますが、上記の通り論理的とは言えません。成果による評価と中長期的視野で企業の競争力が真に向上するような働き方を模索していくべきと考えます。

財政政策の独立性

中央銀行が行う金融政策の決定については独立性が認められるのがスタンダードになっていますが、財政政策については民主的統制が重視され、最終的な決定権は議会にあるのが通例です。
しかし、特に小選挙区制の下では財政規律は緩みがちであり、何らかの独立財政機関の必要性が主張され、英国予算責任庁、米国議会予算局など実際に活動されている例もあります。
ただ、これらは予算の前提となる経済見通し作成、中長期の財政推計、財政政策に関わる政策評価などを担うもので、財政政策の決定を行うわけではありません。
さすがに個別の予算や税制改正の内容を独立機関が決定するのはやり過ぎですが、各年度の予算のフレームは独立財政機関が経済学等の知見を踏まえて決定することはできるのではないでしょうか。そうすると金融政策の独立性と同等になります。